『難病を宣告されて・・・』前編


-難病と共に活きる-「ありがとうの手紙」

『難病を宣告されて……。(前編)』

こんにちは。

山藤です。


僕は11年前のある日、難病患者になりました。

『じゃあ、病気になる前は?』というと。

舞台を中心に、俳優活動をしていました。


はじめて“役者”と、いう存在を意識したのは、小学3年生のころ。

学校廻りをしている劇団さんの公演を観たときに、

なんの疑問もなく『将来は役者になる!』

……。

なんとも素直な可愛らしい少年だったのでした。


成人式の1ヶ月後、10万円ちょっとの僅かなお金を握りしめて、大阪から上京。

今にして思えば、後先を考えない、なかなかのチャレンジャーだったと思います。


劇団を結成したのが、24歳のとき。

それから、脚本・演出もやるようになり。

僭越ながら、いわゆる劇団代表を務めていました。

まぁ、やりたいことを自由に満喫していたってわけです。


そんなある日。

全ての景色が二重に見えるようになりました。

『アカン気がする!?』

急いで病院に駆け込むと、そのまま即入院。

医師から告げられた病名は。

多発性硬化症。



【多発性硬化症】

中枢性脱髄疾患の一つで、神経のミエリン鞘が破壊され脳、脊髄、視神経などに病変が起こり、多様な神経症状が再発と寛解を繰り返す疾患で、日本では特定疾患に認定されている指定難病である。

ー引用元 Wikipedia



ん~、小難しいっ!(笑)

簡単に言うと、神経を覆っているカバーのような部分が破壊される病気です。

電化製品の電気コードに穴が開いて電線がむき出しになってしまって、接触不良を起こしている状態に似ています。


発症当時は、視神経に出来た病巣の影響で右目が全く動いておらず、全ての景色が二重にダブって見える両眼複視。

左半身に痺れが生じて握力は7kgしかなく、水を飲んだら口の端からダラダラとこぼれてしまう。

足も上手く動かせなくなって、ずっと左足をひきずって歩いていました。


最初に告知をされたときは、正直なんのことだかサッパリでした。

ものすごく真面目な顔をした医師が、

『MS( Multiple Sclerosis)です』って、言ったんです。

全く意味不明なので、

『なんかモビルスーツみたいですね!』

と言ったら、かぶせ気味にさらに深刻なトーンで『難病です』と言われました。


それから数日間の記憶が全くありません。

どんなに思い出そうそうとしても真っ白なんです。


後で聞いたんですが、その間は誰に何を話しかけられても無反応。

まるで、マネキンのようだったそうです。


まさに青天の霹靂。

32歳の春でした。


次に記憶があるのは、病室でTV番組を観ている自分。

あれほど大好きな芸人さんが出ているのに、全く笑っていない自分に気づいたんです。

『なんか損してる!』

強烈にそう思いましたww

不思議なことに、それからは以前よりもよく笑うようなったんです。

でも、あの時。

ハッキリと、

『このまま塞ぎこんだままで生きるのは、つまらないし勿体無い』

と、思ったんです。


入院生活も、一ヶ月を迎えた日。

左半身の痺れと、右目の動きに多少の不具合は残ったものの、無事に退院。

日常へと戻れる解放感と引き換えに……。

僕は役者を辞めました。


仲間たちは、今も変わらずに役者を続けている。

妬みややっかみがなかったと言えば嘘になります。

‐とにかく、今の自分に出来ることを探そう‐

それからの僕は、

必死になりました。



そして、そこで、

僕が見つけものは・・・。


(後半につづく)

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